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お笑いタレントのケンドーコバヤシ(50)が、7日放送のMBSラジオ「アッパレやってまーす!」(月~木曜後11・30、土曜深夜0・00)に出演。学生時代を振り返った。  この日は「給食」をテーマにトーク。ケンコバは「カレーライスが出た時、何人かシクシク泣いてる子がおってん」と当時を回顧。「グリンピースがぶわーって入ってるから、グリンピース嫌いで泣いてんねん。当時は最後にカレーライスに小ちゃいグリ....

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    30代ですが、昔は食べ終わらないと、給食時間→昼休み→掃除時間までホコリ舞う中で食べなきゃなりませんでした。 カレーにグリーンピースよりもうちは必ず入っていたレバーが残留率が高かったです。 後は、キャベツとパセリとみかんを和えたよくわからんサラダ。 魚の皮も食べないと残してると認識されたね。 鉄拳制裁が当たり前だったから、給食食べなきゃ帰れない!も当たり前だったなぁ。 自分の子供に話したら昭和初期?って笑われた。
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    昔はよそられた分を食べ切るまで休み時間なしとかありました。 我が子のところは今は予め減らせるそうです。 私は量は食べる方ですが、どうしても嫌いなメニューがあって、ある男の子が同じ班だった時、毎回それを先生の目を盗んで引き取ってくれた。初恋ですw 親友は食が細く、好き嫌いも多かったので、 パンをわざと落としたりしていた。 最初見た時、結構な衝撃だった。あの何がなんでも食べろっていうやつ、今考えても逆に食育にもならないよね。
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    嫌いなものは普通に残したけどなぁ。 チーズ入りサーモンフライとか言うゲテモノ今思い出しても気持ち悪い。 パンに挟むらしいスライスチーズも持って帰って帰りに犬にあげてたな。 やたら野菜が嫌いな子がいていつも残すからもらってもいい?て聞いたら満面の笑顔で差し出してきたことも忘れない。 給食は嫌いなものが出たら午後腹ペコで授業確るのが嫌だったわ。
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    昔は、休んだ子の家に、給食のパンだけ届けてたな。。 あと、グリンピースって嫌いって言わないといけないような風潮があった。 やたらと「まずい!まずい!」って騒ぐ男子生徒。。 まぁ、注射のときに「痛い?痛い?」って聞いてくるヤツと一緒やったが。。
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    私は肉まんが嫌いだったので、給食で肉まんが出るといつも居残りでした。他の子にあげるのも禁止されていたので でも肉まんなんて食べられなくたって生きていけますよね? むしろ肉まん好きな子の方が多かっただろうから、好きな子が食べれば食材となった具材含めみんなハッピーで済むのに。
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    給食の食パンが食べきれず、自分の机の中に入れっぱなしのヤツ。そこへ教科書やノートを押し込んで忘れてしまい、カピカピに乾燥してる子がいました。
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    まあ、大前提として、先生云々より、そういう事が当たり前の風潮をその当時の大人・日本人が作り出してたってことだよ。 先生だけの責任ではない。この時代の全ての大人の責任でしょ。
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    嫌いなものは噛まずに飲み込むとうざはこれでしのぐしかない グリンピースも牛乳と一緒に流し込む 当然かまない舌の上にのせない 大抵偏食は年とともに解消されていくからまあ修練ですね 私はこれで通した
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    息子の小学校、学校も親も子供もなんか意味を履き違えているようで、好きなもの以外は残している子供が続出です。 栄養士さんも給食のおばさんも成長に必要なバランスなど考えて作ってくれているのに。
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    自分の時代はそれくらいは当たり前でした。 なんなら嫌すぎて吐き出したら殴られました。 今はダメなんですね?小学生くらいの子と関わる事がないので全然知りませんでした。 じゃあ嫌いなものは全て残していいというルールになったんですか? それであれば相当楽ですね。 この時代に小学生がよかった。。給食ホントに辛かったので。。
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    小学校の頃の話。 4人で1班。一人でも給食を食べきれない奴がいたら連帯責任。苦手な奴は先生からも仲間から責められる。吐いても怒られる。道具箱に隠してバレても怒られる。吐瀉物をもう一度口に入れるほど追い込まれてた。どうして他の先生も親も助けてやらなかった。怒りが込み上げる。
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    給食のお残しは許しまへんで!…給食を作るおばちゃんが悲しむから絶対に食べなきゃならないルールはありました。  私は酢豚の中に入っているパイナップルがどうしても食べれなくて放課後まで残された思い出がありましたねww…先生が居なくなった瞬間に上履きの先端に詰めて、食べました!って言って帰りました。帰りに公園で上履きを洗って泣いていたかなぁ… あの時から嫌いな物は先に食べる習慣が付きましたが、40年経っても酢豚のパイナップルだけは今だに食べれません…
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    当時給食のあとは昼休みで そのあと5時間目だった。 給食食べ終わったら みんな とっとと校庭にダッシュしてたっけ 私の昼休みは飼育委員だったので 飼育小屋の掃除のあと毎日 給食室に残飯や野菜くずを貰いに行ってた 私の弟は 好き嫌いも多くて食も細くて全然ご飯食べられないタイプで 家でも祖母や母が食べさせるのに苦労してたくらいだった 案の定 毎日5時間目の前に 泣きながらお盆を給食室に持っていってたので 私も毎日 給食のおばちゃんに「弟君 今日もまだ来てないのよ…怒られてないか心配だわ…」と言われてた そんな弟は 今や人一倍食べる
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    嫌いなものは食べなくていいっていうのは良くないけどまずは一口食べてみるとかでいいんじゃない?とりあえずどんなものか知るのは勉強なので一口は食べさせて後は残したっていいと思う。昼休みや放課後残してまで食べさせるのは虐待以外のなんでもないですよ。
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    小学校1年の時にわかめとタコの煮物がメインのおかずで気持ち悪く食べれなかった 自分と後1名がその餌食のなった 教壇に正座さされて食べるまで帰らさないと担任が言った掃除が始まり埃だらけでもう一人はいやいや食べたがだけど俺は食べなかったここまで来たら意地である クラス全員が帰ってもまだ帰れなく一人教壇に正座のままでいた 校長の巡回で助かった いろいろ聞かれたが嫌の一点張りで絶体食べないと返した 校長はもう遅いから帰りなさいと言ったが担任の方はどうなのかと思った親が担任と校長に苦情言いに行き担任、校長が謝りこの件は済んだ この担任のおかげで泣きながらパン、脱脂粉乳、無理やり食べさされてクレームになったくらいの担任であった
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    アレルギー以外の食わず嫌いは親のせいだと思う。先生も学校でとやかく言えなくなったもんだから、昔よりも確実に好き嫌いが増えている。挙げ句の果てには、「うちの子は牛乳飲まないので、無理に飲ませないでください」「私もうちの子も肉が嫌いなので食べさせないで」とか家庭から申し送りがあって呆れる。
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    地域によって違うだろうけど、献立を見ると昔と全然違うしめちゃくちゃ美味いそうです しかも給食費0円、皆様ありがとうございます
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    好き嫌いや少食で食べきれなかったという投稿が多いですね。 私も小1までチーズや牛乳が嫌いで、給食のおかずも嫌いなものは手も付けないのもありました。 小2で週2回スイミングスクールに行くようになってから全く好き嫌いがなくなり給食はすべて残さず食べるようになりました。 運動するだけでガラッと変わりました。
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    小学校の時に給食で出た「夏みかんサラダ」があまりにもマズ過ぎて普段厳しい先生が「・・・これは残してもいい」と言って助かった覚えがある。 先生も残してた。
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    自分の通っていた学校(大昔)はそこまで厳しくはなかったな。教師の体罰的なものもそうだけど、昔のほうが厳しかったのは事実だろうが、地域差・学校差・あるいは教師による差が結構ある話なんじゃないかと思うね
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    給食以外にも今では考えられないことが横行していました。 理不尽な暴力に暴言、えこひいきやみんなの前で恥をかかされたり。 許せないようなこともあるけど、今では笑い話ですね。 その皺寄せが今の教師に来ているような気もします。
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    当時は偏食をなくす教育の一環として給食を残さない指導に大義名分は、先生方にもあったと思う。 運動部で夏の炎天下の練習中、一滴も水は飲むなという、今のスポーツ科学では考えられない事がまかり通っていたのと同じである。熱中症という用語さえなかったし、誰も倒れる者もいなかった。スポ根マンガ『巨人の星』全盛期で全ての事が〈根性ないのう。〉で片付けられた時代であった。
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    私は小学生だった頃本当に偏食家で給食もほぼパンと牛乳くらいしか食べられなくて全部残してた。その当時、保健の先生が見回りに来てて内心ビクビクしていたんだけど、「大丈夫よ、いつか食べられる時が来るから焦らずにね」って優しく言ってくれた事がいまだに忘れられない。そしてその通り、今は当時食べられなかったほとんどの物が食べられる。 逆に母が厳しくて、家で泣きながら嫌いな物食べさせられてた記憶がある。そしてその時母に無理矢理食べさせられていた納豆だけがいまだに苦手で食べられないというオチ。最近母に当時の事を聞いてみたら、給食とかでスキキライして自分が残されて辛い思いしたので自分の子には何でも食べられるようになって欲しかったからだと。でも実際は逆効果になってて皮肉なもんです。笑。平成初期頃の話ですが、厳しさも優しさもあって丁度良かったのかなと。
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    おかしなルールありましたよね。 私の時代も同じ感じで食べ切るまで居残り。夕方まで泣きながら残されたこともありました。 しかしそんな中で私は行動に移し、出てきたご飯の器(銀色のふたつきのやつ)に食べれないものを全て突っ込んで返却したり(後に給食センターから学校に連絡が来て大問題になった笑)、口に突っ込むだけ突っ込んでトイレで出したり、袋に入れて捨てたりといろいろやってやりました。あとはわざと放送委員に立候補して途中のトイレで捨てたりとかなり頑張っていました苦笑 本当あり得ない時代でしたね。結局なんのやくにもたたない教育?だったとおもいます。
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    還暦で同じ京都市出身です。 給食に出たじゃがいもキャベツを茹でたのが嫌でいまだにじゃがいも食べられない。匂いも鮮明に覚えてるし掃除の時間になって後ろに下げられた机で1人で食べてた。 昔は良かったなんて絶対思わない。
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    私も食が細く食べられず、ずっと座らされてました。 今でもしっかり覚えてますよU先生!! 子供の先生は、自分も嫌いな物あるし無理強いしませんって話されていて、ほっとしました。
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    こんなんで好き嫌いが治るはずもなくただトラウマになりますよね。 でもこれとは関係ないけど最近の若い子って偏食の子が多いですよね。
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    わかる!!!自分もよく残されてました…毎回先生に「作ってくれた人が悲しむだろ」と言われて居残りさせられてたけど、今の自分だったら絶対先生に「だったらこの状況見せてあげてください。僕が作った側の人なら可哀想だから許してあげて!!」って言いますよ?って言い返すな。
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    4人一組の班で給食を全員食べ終わるまで昼休み遊びに行けない。自分はいつも遅くて睨まれていた。 4人一組でリレーのチームを作らされて、足の遅い自分はいつもチームのお荷物だった。 それでも、いじめられたりしなかったのは、当時の同級生に感謝している。
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    ほぼ、同じ年代なのでありました。 自分は、好き嫌いなくしかも食べるのも早いから全く苦ではなかった給食ですが、食べられない子は 歯磨きコップに残したものを全部入れられて、食べさせられてた。 今考えたら虐待と変わらない。 自分の子供が産まれて、まさかの自分とは逆の食べられないもの、食わず嫌いのものも多くて苦労しています。給食で完食する事はほぼないため、あの時代なら行きたがらないだろうなと思います。 今でこそ、ああだったなんて言えるけど、先生からビンタとか、すごい時代だったなと思う。
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    あったあった! 毎日牛乳でて、牛乳嫌いな子とか今考えると大変だったんだなって 自分もトマト嫌いで居残り給食した思い出ある 確かに今なら問題になるだろうな 当時は怪我でも本人が悪けりゃそんな問題にもならんかったし 親も先生に頭上がらんかった
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    好き嫌いがあるのも分かる。でも、料理作るってとっても大変だし、飢えて死んでる子供達も世界にはたくさんいる。そういうのもちゃんと教えて選ばせた方が教育的に良いと思う。
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    子供のころは食べ物の好き嫌いなく育ち、食べ物が嫌いな子を見るとかわいそうに思ったが、大人になり酒が受け付けない自分が、その子の気持ちになった。
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    今でもそれぐらい厳しくというか理不尽なことを教えといた方が本当はいいんだけどね。 それを許さない風潮というか、文句言ったもん勝ちみたいな風潮があるから保護者は文句を言い、それを聞いた子供が調子に乗って「そんなことしてたら教育委員会に言うぞ!」とかいったりする。 子供にまでそんなこと言われたら先生は委縮しるから益々子供は調子に乗り言うことを聞かないバカになっていき、家でもひどいから親は学校のせいにするみたいな負のスパイラル。 すこしは理不尽を子供の時から教えないと打たれ弱い人間になりすぐ切れる人間になる。 それが結局今のモンスターペアレントである。
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    40代前半ですが、小学校低学年のときにいつも居残り給食させられていた子がいました。 給食のあと掃除の時間だったのですが、彼女の机だけ残されて周りは掃除。 ある日トイレにも立たせてもらえなくて、最後はお漏らししてしまい泣いていました。 それでも先生は彼女に食べるのが遅いこと、漏らしてしまったことを責めていました。 当時、子どもながら「先生って酷い」と思っていましたが、とても意見などできず。。 私が転校してしまったので、そのあと彼女がどうなったかわからないです。 タイムリープできるなら、今すぐ救いに行ってあげたい。
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    配膳当番の友達と交渉してデザートと引き換えに嫌いなオカズを減らしてもらう等、今思えばくだらない根回しをしていたことを思い出しました。
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    時代によるのでしょうね。 その当時の学校教育は,戦前・戦後教育がまざったもので,戦時中の食べられるだけでありがたいという時代背景を経験している先生やアレルギーなどの食物知識なしでは,まったく違うのでしょうね。 戦時中の食事は,ない食料からエネルギーを取るものだったことから,嫌いでも栄養に変えることが正だったのかもしれませんね。 某国のように,いまの基準で昔を批判してはいけませんよー。 当然,時代に合わせて改善をしていることは必要ですよね。
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    この手の話題を笑い話で片づける奴らの神経が知れない。いくら栄養のこと考えたって摂取しなかったら何も意味ないんだしこの給食制度がおかしいと思う。「自分で選んだものは残すな」ってならまだわかるけど「出されたものは残すな」とか意味が分からん。(私はおかわり担当で何でも残さず食べたけど。)
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    給食って使い終わった食器を洗浄する時間が決まっているから昼休みを過ぎた後、しかも放課後に返した食器ってどうしてたんでしょう。幸い私の通っていた学校は残したとしても昼休み一杯か昼休みの途中に自分で給食室に返すのがルールだったので放課後まで、というのは無かったです。センター給食の所なんて特に食器も返却しないといけないと思うし…
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    いや、うちの自治体は、今も完食方針がありますよ。 クラスメイトがさらに完食に厳しいのは、親世代が完食指導が厳しかったからかな。
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    私も給食を食べるのが大変で、昼休み、掃除中、5時間目など廊下に机ごと出され食べ終わるまで教室に入るなを良くされてました 私の母親は私に無関心でしたし、勉強が出来ず忘れ物等の多いaddな為に先生も私にイライラしたとは思います 先生は私を叱りつけたり竹の節のある棒で頭を叩いたりドヤ顔で楽しそうでした 給食は体の大きさ、食の細さなどお構い無しに同じ量が盛られるので大嫌いでした 歯列矯正もしていて食べにくかったです 本当に最悪だったので今は世の中が変わってきて良かったなとほっとする事もあります
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    弁当にすればいいんだよ、親に好きな物だけ詰めてもらって毎日学校通えばいい。今なんて給食費タダのところ多いんだからもっと給食にありがたみを持つべき、黙って食べる。
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    私は平成生まれですが小学5、6年生のときの担任の先生は食べるまで許してくれませんでした。掃除になると邪魔だから机ごとベランダに行けと言われ、あからさまにため息をつかれたり、その日の残り時間は先生にシカトされてました。 それがトラウマになり、嫌いなものがある献立のときは学校を休んでしまう子もいた事を思い出しました。 好き嫌いしないにこしたことはありませんが、強要は恐怖心を植え付けるだけだと当時の先生に言いたいですね。
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    中1の時の給食に出たあまりにもまずいおかず。 2人の担任のうち,1人は体育の少し怖めな(普段はとても優しい)先生でした。みんな顔を顰めながらなんとか食べていました。2週間後,同じメニューが出た時,体育の担任が一口食べて,「今日は残してもいいぞ。」みんな安堵の表情と歓声を上げました。給食を作ってくれた皆さん、ごめんなさい。でも,あれはとても•••
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    子どもの頃、頑として嫌いなものは食べずにいて、一人残されて食べさせられ続けて掃除の時間のホコリまみれの中も給食時間、放課後も最後まで残されて学校嫌いで学校行かなかったり。アレがなければもっと勉強できてたんじゃないか、とアレのせいにしちゃう自分がいます。 大人になって高級店で子どもの頃嫌いだった食べ物を食べるとおいしくって、でも後から必ず下痢になったり発疹でたり。 体に合わなかったから嫌いだったんだな、と同時に学校給食だからマズかったのか?と思ってみたり。
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    私はケンコバより少し上の世代だけど 担任によって色々給食ルールあったな。 当時の担任は、手を付けたものは全部食べろがルール。 手を付けて残すと、ストーブ用の鉄の棒でお尻打たれる。 めっちゃ痛くて、かなり濃い青あざになる。 野菜が苦手な私は、もし食べられなくて残したらと思うと 怖くて毎日大量に給食残してたな~ 牛乳をちびちび飲んで給食の時間を過ごしたこともたくさんあります。 非常に理不尽なルールだった。 給食費返せ~
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    給食ルール以前に、昔の給食は相対的にとにかく不味かった。 栄養バランスに気を付けすぎてるせいか分からないけど、おかずは好みの味じゃないし、中には病院食かというぐらい味がしないのもあったり、苦いといってもいいぐらいの野菜料理まであった。 それなのに残さず全部食べないと怒られるという感じだから、個人的に給食の時間は苦行だった思い出しかなくて、フルーツポンチとかカレーの日以外の給食は食べたくないというのが本音だった。 ただ2000年生まれの世代あたりから急に給食が美味しくなったらしく、小学生たちも素直に給食の時間を楽しんでる印象があった。 全部食べるまで無理やり食べさせる先生をクビにするとかいう以前に、文科省がもう少し生徒の立場になってもっと早く美味しい給食を作らせるべきだったのではと思う。
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    小さい頃から身体が受け付けないのか、牛乳が大の苦手です 小学生の時、給食で毎日牛乳が出るので嫌でしたね… 一滴でも口に含むと、胃の中のものを全部吐くほどダメでした 飲むまで残されるなんてことはなかったけど、一度だけ担任の女性教師から牛乳を頭からぶっかけられたことがありました 今でも忘れてないし、恨みに思ってます もちろん、今だに牛乳は一滴たりとも飲めません
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    私の時代(昭和中期)も給食を食べないと昼休みに遊ばせてくれなかった。 だから、昼休み中ずっと残した物とにらめっこしていました。 その内に献立表であらかじめ苦手な物が出る日には、給食係に言って少なくよそってもらうか、それができない物(ぶどうパンの干しぶどう)は友達にこっそり食べてもらっていました。
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    クビになんてならんよ。 数年前だけど、宿題なんて一切やらない悪ガキだった15はなれた弟が修学旅行で夜中12時超えても今までやってない宿題を先生の部屋でやらされてたわ。 間違えたらシバかれながらww これは無くねって親が行ったけど、学校も教育委員会も何にもなかったよ。 週刊誌にでも持ち込まないと誰も動かないのが教育現場。自浄作用は一切働かない。
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    居残りしてとか昼休みもずっとはやりすぎですが、我慢して食べるとか、頑張ることも必要かと思います。社会に出て、嫌ならやらなくて許されるわけじゃありませんから、甘やかしすぎは問題かと思います。
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    学校給食だったからか、いつも美味しくて給食は楽しかった思い出しかありません。 好き嫌いもあったけれど、自分でこれだけ頑張ると決めたらその分だけよそって食べるという指導でした。納豆がどうしても食べられませんでしたが、残してOKでした。 後に母に聞くと、入学時に「納豆は地域性もあって食べない家庭も多いので一応出しますが食べられなくてもOKです」と説明があったそう。 楽しく食べられたからか、年次が上がる毎にだんだん苦手なものも減りました。当時、完食を強制されていたら給食嫌になって学校に行きたくなかったろうなぁ…。
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    好き嫌いが多かった私は、給食がつらかった。小学一年生の修了式のとき、担任の先生が1人1人に〇〇賞と賞状をくれたのだが、私のは、給食を残さず食べましょう賞だった。賞状を受け取る自分の順番になるまで、何が書いてるか本当に楽しみにしてたのに、すごくショックだった。ねぎらいだったかもしれないけど、一年の最後まで賞状にのせなくてもいいんじゃないかと、給食の記事を見ると思い出す。
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    昔話として笑えば良いと個人的には思う。 給食は基本的に楽しみだった側なので。 こういった話しこそ、変えるべきルールである。 校則の話しなんかもそうだけど、多様性なんかを騒ぐ時代に義務教育が一番頭が硬い。
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    給食のアレは、嫌いなものをより嫌いにする為の儀式だったとしか思えない。 5時間目が終了して掃除をしているのに、一人だけ椅子に座りさんまのかば焼き(内臓アリ)を睨みつけてる奴が、ボソッと「死んでも食べない」と言ってたのを今でも覚えている。
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    昭和の時代の「給食完食主義」に対して思うのは、子供のころは嫌いでも大人になったら食べられるようになるものが圧倒的に多いこと。なぜ先生方は「大人になるまで待てず、子供のうちから『好き嫌いゼロ』にこだわった」のだろうかという疑念はなかなか消えない。
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    昔はそうでしたね。 私も一年生の時に煮物が苦手で困っていたら、先生が机の対面に肘をついて「食べなさい」と威圧的に監視。 無理矢理食べて耐えられず吐いてしまうと「汚いわね!掃除しなさい!」と掃除をさせられ、着替えがないのでブルマ。 帰りは土砂降りの中ブルマでずぶ濡れで帰りました。 そのお陰で40代になった今でも筑前煮が苦手。好き嫌いを無くすどころか逆効果ですよね。
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    牛乳苦手な同級生が、毎日放課後まで給食食べてました。30年前ですが。みんな放課後掃除してる間も給食で、その子だけ5、6時間目授業受けれない。転校して行ったけど可哀想だった。
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    自分は30代ですが小学校低学年ぐらいまでは給食後の昼休みまで食べさせられている子を見かけましたね。さすがに放課後はなかったですが。 当時自分は野菜が大嫌いで家では一切食べないくらいでしたが、 給食の時は呼吸を止めて味を感じにくくしてから飲み込んでたことを思い出しました。
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    吐くほどの無理はダメだけどそうじゃないなら少しの好き嫌いは位は我慢して食えよ。とは今も子供の頃も思った。 ただ稀に本当に不味いのはあったのでそういうのはなくした方がいいと思う。 そういう献立の日だけみんな残すから残飯いつもの倍以上とかあったし。 ただ食べるの遅いとか少食の子に無理させる教師はやめちまえ。 SDGsとか教育する前に無駄にしないこと教えないと。 あとは給食のパッケージみたいなの統一して主食だけでも大中小みたいにサイズ設定出来たりしないんかな。
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  61. 61
    テストの点数悪かった人は給食抜きとか、黒板の目の前に机移動させられて先生の隣で授業受けさせられるとかトラウマになるような事も昔はあったよね。あれは本当屈辱的だったな
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  62. 62
    そうですか。自分の体験を一般化するのは危険だと教わらなかったのかしら。99%の優秀な教員が劣悪な環境で働かされていることに目を向けることはないのでしょうか。世間が教員を嫌っているのはわかっていますが、それとこれとは別問題ですよ。教員が過労死することにも同じぐらいの気持ちで問題提起してくれないのでしょうか。
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  63. 63
    給食食べる食べないは問題になるけど、お腹痛くなる問題はあまり聞かない。 給食後の体育の授業が嫌だった。 沢山食べれるんですが、食べた後動くとお腹痛くなる。 それを考えるとさらにお腹痛くなる。 未だに同じで、昼食は軽く済ますか、食べたい時は2時間ぐらい時間取るかしてます。 お腹痛くなりやすいので、外には出たくない。
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    いましたね、私の同級生にも椎茸が食べられなくて、特にあんかけにスライスされて入ってる椎茸がナメクジに見えて食べられないと、泣きながらオエッって言いながら牛乳で飲んでたな、あと小学一年生の時なんか、みんなでその子の机囲み『がんばれがんばれ』って応援しましょうなんて先生が煽ってたな。 今じゃありえないよね。
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  65. 65
    セロリのサラダだけどうしても無理で給食の時間終わりに口に放り込んでそのまま焼却炉までダッシュしたことがある。 今は焼却炉もないんだよね。
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  66. 66
    給食の時に残す生徒がいたら必ず誰かが横から掻っ払って食べていた 人気のおかずは皆争ってお代りをした だから、給食が残る事は絶対に無かった
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  67. 67
    私は悔しいから泣きはしなかったが、残され組。まずい、硬い、喉を通らない。絶対無理。自宅で豪華料理が出るわけでもなく、普通の家庭、食は細かったが喉を通らないものはなかった。脱脂粉乳は鼻をつまんで飲めば何とかなったが。70になろうとするのに今だに歯がゆくて悔しい。その先生は大嫌いだ。
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    「残すなルール」は地元の小学校でも当時ありました(90年代前半)世代の常識ルールかな?時間が経つにつれて、給食は冷め、牛乳は温くなり、周りでは教室の掃き掃除が始まってどんどん形勢が不利になっていく。シイタケ嫌いなずる賢いやつは口にとりあえず含んで便所で吐くとか、運び屋みたいなことやっとたな。あれで嫌いだった食べ物が余計に嫌いになっていく。一流シェフがさばいた高級食材が最初の出会いだったら世の中から好き嫌いなくなるはずやな。
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    これの被害者は一番は子供だけど、給食作ってる方たちにも大迷惑なんだよね。 当然食べた後は洗うわけだが、放課後の3時、4時に食器を持っていって「今更持ってこられても」と小言を言われたこともあったし、全員帰っていて誰もいない時もあった。 辛い思いをした上に迷惑をかけてしまったというダブルパンチで泣いた覚えがあります。
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    ありましたねー 昼休み、5限目6限目、掃除中、放課後まで食べさせられている生徒 先生によっては食べられないものは先に食缶に戻しなさいって先生もいたけど、そうじゃない先生の時は泣きながら食べさせられてた
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    そもそもはそんなの悪い事だとまったく思ってないよ。 ただ考え方はいろいろあるから公立ではないね。私立ならいいと思う。ただそういうことしますという話は入学前に説明しておくべきかな。 食が細い人はいるから分量調整はすべきと思う。好きではない好みじゃないまではいいと思う。でも、嫌い、こと嫌いだから食べないとかちょっとありえないかな。 まあ強い発酵を伴う食品までいけば嗜好品の域かもしらん。でもピーマンやニンジン、茄子の類がきらいだから食べないみたいな世界は、正直いって見苦しい。ただのわがままだと思う。 また「給食は楽しく食べるんだから嫌いなものは食べなくていいんだ」とかいう人がいる。少し違うと思う。楽しくってのは楽しくなる、そう考えることを学ぶ、教えるのであって、自らが考える楽しいことだけやって、楽しくなるのはまったく違う。 こういうあやまった考え方は教育としてみるといいことないと思うよ。
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    小学校時代、校長先生が給食へのこだわりが強くて校庭の傍で家庭菜園をして食育をしていました。 採れたての野菜はえぐみが少なくほとんどの子供が野菜を克服していました。 給食の時もよそう時に「量少なめ、人参避けて欲しい」などできる範囲でフードロスを無くそうと働きかけて牛乳が飲めない子は欲しい子にあげるか夏以外持って帰ってOKでした。 給食時間には必ず校長先生が現れて、野菜嫌いの子供が一切れでも食べれるとものすごく褒めてくれて食べれない子に対しても「違う野菜食べれるなら大きくなれるから大丈夫!」と優しく接してくれました。 担任の先生は残ったらおやつや夜に食べる分として貰えてパンと牛乳がたくさん余ると家庭科室で校長先生が砂糖と卵を買ってきてくれて他の先生方がフレンチトーストを作ってくれました。 30年前の学校でしたが、子供心に普通だと思っていたので放課後まで居残りとか聞いた時には本当に驚きました。
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  73. 73
    小さい頃嫌いな食べ物沢山あって、給食で出た時本当に地獄でした。 大半の方が経験した通り、食べるまで残されるのが当たり前の環境だったので辛い思いも沢山した。 しかしある時気付いた。食べれないからと後回しにしてるとどんどん冷めて食べづらくなるし、時間が経って掃除が始まるとさらに埃まみれの中で食べなければいけないという悪循環になる。 それならばと最初に我慢して牛乳で流し込むように胃の中に入れてしまうのが1番ダメージが少なく処理する方法を採用したら、後は楽しく美味しく給食を食べれるようになった。 しかし、デザートで出る嫌いないよかんやはっさくだけはスタートダッシュする訳にはいかないので苦戦した。 解決方法は・・・持って帰ったら爺ちゃんが喜んで食べた(笑)
    51 6
  74. 74
    給食で出るマーガリンと脱脂粉乳が大嫌いでした。 あの安い油で作ったマーガリンの臭いと脱脂粉乳の独特の臭い… マーガリンは、残して家に持ち帰れば良かったのですが、脱脂粉乳はそうもいかず鼻を摘み無理矢理に飲んだ事を辛い思い出とし記憶されています。
    8 2
  75. 75
    基本この時代は戦後の先生や親たちで食べられない苦しさを知っていたために 食べ物は残さず感謝して食べなさいの時代 まあ、好き嫌いも大人になっちゃえば食べられたりするけどね
    1 1
  76. 76
    牛乳で泣いてる子もいればコッペパンで泣いてる子もいたよね。 先生たちも辛かったんじゃないかな? でも栄養的に健康のためには必要だと信じきっていたのだと思う。 それが時代と共に不必要な指導だとわかってきたんだろうな。 悪い先生に当たってしまえば給食だけじゃなくて何もかもがどうにもならない。 だから悪意のある先生は論外だとして、自分が出会ってきたのは生徒のことを考えている先生が多かったと思う。 それでも不適切な指導は発生するということ。 だからこそ今でも何かおかしな状態にある部分があるのかもしれない。 そういう部分を改善していくのが大切なんだろう。
    11 35
  77. 77
    40代ですが自分も好き嫌い激しくて、牛乳、チーズ、トマト、納豆等食べられずによく居残りさせれれてました。開き直って気にせずに過ごしていましたね。今でも牛乳、チーズは食べません。
    4 1
  78. 78
    食わず嫌いなら一回食べてみなよって思うけど、食べてダメなら無理に食べさせなくても、と思う。 ただ、今はアレルギーとか昔に比べて多い印象があるから、そのへんもよく判断しないと怖いですね。
    1 1
  79. 79
    好き嫌い言わないで食べろはよく言われましたね。 学校単位でそういう決めごとがあって、 厳しい担任のクラスは放課後残ってましたよ。 うちの担任は好き嫌いで決めない 通達を拡大解釈するタイプで 太ってる子が肉の脂身嫌いで、残してたら 本当は好きなくせに残したな(笑) お前は太ってるからまぁいいと許したり なにか理由を探して見逃してましたね。 みんな大好きだった。
    3 5
  80. 80
    給食制度の廃止を本気で検討すべきだと思う。 昔は脱脂粉乳とかもあって今よりやばすぎたとも聞くし、全部が全部とは言わないけれど、やはり一部片手間で作ったであろう給食が家庭料理やレストランの味に匹敵するわけがないし、明らかにまずい料理を出すことは犯罪にすら匹敵する行為だと思う。
    2 5
  81. 81
    放課後まで食べてました! カリフラワーが嫌いで、給食のカレーやシチューに時々入ってました。 カリフラワーのせいで、好物が地獄の食べ物になりました。 いつもカリフラワーだけ残して、放課後まで残されてたので、ある日友達が「最初に粉々にして混ぜたらいい」と教えてくれて、次の時に実践したら、カレー全部が地獄の食べ物になりました。
    8 1
  82. 82
    ケンコバさんと同世代です。 あの当時の給食は確かになんにでもグリーンピースありましたね笑 薬臭くておいしくないんですよね。大人になってグリーンピース食べたらこんな美味しいんだとびっくりした思い出があります。 ほとんど好き嫌いがなかったので給食で苦労した思い出は少ないけど、唯一苦手だったのが骨つき鶏もも肉の甘酢かけボイルという品がダメでした。 とにかくブロイラー臭くて品質の良くない食材だったので、食べた瞬間に戻してしまったくらい。献立表にそのメニューがある時は1日憂鬱だったのを覚えています。 そのメニューのせいでプライベートではしばらく鶏肉全般と甘酢のメニューが食べられなくなってしまったほど。 今は給食の内容も改善されて、子供達の献立表を見ていると美味しそうなメニューが多いなーと感心しています。
    28 4
  83. 83
    本当に食べるのが無理(吐いてしまうほど)なのを、 ただの好き嫌いしてると思ってる人が多いのよね。 そういう人ってやっぱり苦手な食べものが全くないタイプで本当に理解できないから 「実際食べれるのに甘えてるだけ」って認定してしまうんよな。
    4 1
  84. 84
    そういう時代でしたねw。 私どもの頃は、嫌いなものどころか残すことも許されませんでした。 掃除の時間になっても泣きながら給食を食べている子もいましたね。
    6 1
  85. 85
    給食の時間つらかったな。3月生まれで体が小さいのに他の人と同じ分だけ盛り付けされて食べ切らないといけなかった。半泣きになりながら掃除の時も食べてて、でっかいコッペパンはこっそりランドセルに入れて帰りに川の鯉にあげてた。コッペパンは今でも大嫌い
    5 1
  86. 86
    納豆が食べたら吐くレベルで嫌いだった。 でも食べろと強要してくるので、小分けに口に入れて噛まずに、なるべく舌に触れさせずに上を向いて飲み込む技術を身に付けた。 子供ながら頑張ったなあ。今はもうできない。 先生に喉に詰まって死ぬぞ、と言われて「先生が絶対食べろと言うけど、どうしても食べれないから飲み込んでるって親に言った」とウソをついたら、それからあまり言われなくなった。追い詰められたら子供も無茶苦茶するから、先生には子供を追い詰めることはしてほしくないな
    6 1
  87. 87
    この給食の話だけでなく、今の基準では理不尽なことが多かった。 人間性に問題のある人でも教師になれた時代だったのかも。その当時の先生と呼ばれた人と今、自治会とかで接して、そう思います。
    1 1
  88. 88
    平成初期の給食を食べてました。 私は食べられないものはなかったですが、大豆やバナナは嫌いで頑張って食べてましたね。 残さず食べるが前提だったし、少し大きくなると栄養のことも分かってきたので、自分のためと言い聞かせ食べてました。 今は子供が小学生ですが、完食よりも時間制限が厳しいみたいです。「食べたかったけど、時間だよって言われて残しちゃった」とよく娘が言ってます。それはそれでどうかとは思いますね。 先日はゼリーが間に合わなかったと残念がってましたから。 個人的には、好き嫌いはともかく、食べられるのに時間が足りないってのはかわいそうに思ってしまいます。コロナ禍以降でお喋りしてるわけでもないのですから…
    1 1
  89. 89
    当時の先生たちは戦後の厳しい食糧難の時代を生きてきた人たちだったのだろうから、そういった教育だったのだろう。その食糧難を乗り切れなかったら良かったのに。そうしたら可哀想な生徒たちは居残ってまで残さず食べることを強要する教師に出会わずに済んだのに。
    1 1
  90. 90
    バナナとトマトとメロンが苦手だったので、これがデザートの時は掃除の時間も座らされてました。 それでも食べなかったら渋々片付けなさいと言われました。私は絶対食べなかったけど、取り敢えず口に入れてトイレで吐くって子もいて、何のための時間なんだろうと子供ながらに思っていました。 一度だけ校長先生も食べられなかったと噂されたほど不味いおかずが出て、その時は残してもオッケーの許可が出たことがありましたが、味覚の好みは個人差あるし、食べれないものがあっても仕方ないのではと今でも思います。今でもバナナは嫌い。 高学年の時の先生は人にあげるのを許可してくれたので、フルーツはすぐ貰い手が見つかるし捨てる罪悪感もなくなり、給食が苦痛じゃなくなりました。
    38 9
  91. 91
    昔ならあるあるですよね。 少食だった私もお昼休みなし!で1人だけ残されて給食を食べ続けてました。 常にダメな子扱いだし、晒し者ですよね。 お腹いっぱいなのに無理に詰め込まなくてはいけない給食の時間が苦痛でした。 給食の味自体は好きなのに量が多くて辛かったですね。 昔は子どものことを考えようなんてあまり無くて、基本根性論だったんでしょうね。 無理に給食を食べさせられたからと言って食事の時間が嫌いになるだけでした。 成長期が来たらバクバク食べられるようになって、大人になった今は何でも食べられて人と食事をする時に恥ずかしい思いをすることもありません。 あの給食を全部食べろの時間に感謝なんてしてないし、今でも疑問でしかありません。
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  92. 92
    昭和後期~平成初期、残さず食べるが当たり前でした。 当時給食後に掃除だったと思うのですが、掃除の時間までオルガンの上に給食を置いて、半べそで食べさせらてる子がよくいました。 唯一の救済は「少なくよそう」のみでしたね。 僕自身は嫌いなものはあまりありませんでしたが、それでも好みでないものは少なくしていましたねぇ。 共感者は少ないと思うのですが、個人的にはアレルギーは別として「残さず食べる」というのは大切な事なんじゃないかと思います。 我が子が小学生になり"嫌いな物は残していい"という事に凄く違和感を覚えます。 食育に於いて「いただきます」「ごちそうさま」と「嫌いな物は残していい」にどう整合性を持たせているのか不思議でなりません。 教室の隅に追いやって半べそで掃除の時間まで食べさせろとは言いませんが、「嫌いな物でも生産者さんや調理員さんに感謝して頑張って食べる」というのは大切な事だと思います。
    1 11
  93. 93
    あるあるですよね。 私は苦手なものはそっと食べ残しの中に 隠して捨てていました。 これ嫌い!とか公表して掃除の時間まで 取り残されてる人って、やり方下手だな、、って 思ってました。
    2 2
  94. 94
    昭和、いや平成までは全体的にこのルール残ってましたよね アレルギーとかが問題になったりして段々強制は減ってきたらしいけど
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  95. 95
    もう給食やめりゃいいじゃん。好き嫌いなんて学校とかで是正するもんじゃなし。一口も食べずに倒れても仕方なかろ。何でもかんでも人に任せて文句とクレームだけ人十倍垂れる人間の相手にする必要なし。だから教員も介護職も看護師も減るんだよ。最後は自分でなんとかしろ!になるよ。なってこまればいい。そこで初めてありがたさがわかる。
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  96. 96
    通っていた小学校は給食→昼休み→掃除→5時間目(もしくは下校)って流れだったんだけど、食べれない子は昼休みも食べてたなぁ。 当時と担任が「出されたものは完食!減らすのもダメ!!」って人で、埃が舞う掃除の時間も食べさせられてた子いたよ。可哀想だった。よく先生の目を盗んでクラスのみんなで食べてあげたりした。 好き嫌いじゃなくて少食の子は吐きそうになりながら食べたりして本当に可哀想だった。
    4 1
  97. 97
    給食については昭和の時代と現代を比較するのは難しいと思う 当時の先生もいじめていた分けじゃなくて純粋に食の教育だと思ってやっていたことかと こんなことよりもっと暴力的な教員がいたよ当時 小学生を普通に暴行する教員は何人もいたからね いまじゃ信じられないだろうが
    3 1
  98. 98
    似たような年代やけど、当時でもそんなのなかったけどね。嫌いなもんは友達にあげてた。もらい手がいなければ普通に残してた。カレーとかは早いもの勝ちでおかわり争い。プリンが残れば真顔でジャンケン。 給食は本当に楽しかった思い出。
    16 91
  99. 99
    私はケンコバ世代ですが、4時間目に忘れ物をしてしまい給食時間が終わるまで反省文を書かされ、席には自分の分が用意されていたが給食センターに食器を返さなければいけないと、パンにすべての給食が詰め込まれていました。それを半べそかきながら食べました。今思えばまるで豚の餌のような状態。同じような事が3、4回ありましたね。今思い出すと怒りが込み上げてくる。
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  100. 100
    好き嫌いが多い子どもでしたが、成長するにつれて自然と段々食べられるようになりました。 親や学校で厳しくしてもらったおかげ…などとカケラも思ってないです。悲しくて辛い思い出だけですね。 どうしてもオエッとなるのに、親には怒られたり叩かれたり散々な目に遭うのが納得いかなかったです。 特に努力したわけでもなく最初からなんでも食べられる子と比べられて、○○くんは何でも食べられて偉いね!なのにあなたは…どうして食べないの!わがまま!頑張りなさい!!と。 こんなに頑張ってるのに…って悲しかったです。 おなかいっぱいで食べきれなかったパンをこっそり持って帰って捨てることもできず、学習机の引き出しに大量にしまい込みカチカチに… 親に見つかった時はさすがに憐れまれて怒られませんでした(⁠^⁠^⁠;
    10 2
  101. 101
    こういう一昔前の理不尽ルールに反感を持ってた層が大人になって 自分の子供を通わせる時代になると、 言いなりにはならんぞって気持ちがずっとあって 対学校、対先生へのあたりが厳しくなるんだろうな しかし、何十人もの子供の食事の世話を、 大人1人で管理するとか、構造上無理だよなぁ
    3 1
  102. 102
    パンがパサパサで食いきれない 昼休み無くなるのが嫌なので机に押し込んでた 忘れた頃に熟成したのが机から出てくるんだ
    2 1
  103. 103
    あった。あったよ。オイラは1、2年まで、魚、肉、野菜(ニンジンやピーマン)が食べられなくて、5、6限も皆が授業受けてる間、机の上に置いた給食と睨めっこしてました。給食のおばちゃんが食器を回収に来るとようやく解放されました。担任の名前は40年経った今でも覚えてます。3年から担任変わって、一口食べたら残して良い作戦で、1学期中に好き嫌い克服できました。感謝しかないこちらの担任の名前は忘れちゃいましたけどね。
    2 1
  104. 104
    自分30代だけど、 全部食べるルールのせいで、 お昼休み終わるまで泣きながら食べて、 授業の邪魔だからって自分で片づけさせられてたよ。
    22 1
  105. 105
    私のときは給食は残しては駄目でお昼休みが終わるまで食べている子はいました。放課後は凄いですね。今はそんなことはないですよね。アレルギーで食べられないとかもって今はありますけど、昔はあまり知られてなくて関係なく食べさせられましたから。アナフィラキシーになったらどうするの?と今は思いますね。
    3 2
  106. 106
    えっ? 今の給食って嫌いだったら残して良いの? アレルギーなら分かるけど、そこは教育として間違ってると思うな…。 放課後まで残されるのは別として 普通に「命に感謝」「作ってくれた人に感謝」の気持ちで残さず食べるように教えるべきだと思うな…。
    2 11
  107. 107
    給食の謎ルールはありましたね 私の時は「太った生徒はおかわり1回につきグランド1周」というルールがありました。今だったら大問題に発展しますね
    8 2
  108. 108
    51歳です。小中学校の時、トマトが嫌いでした(今でも食べれません)。 給食で丸ごと1個トマトが2週間に1回トマトシーズンの時出されました。 4時間目の後の給食昼休み掃除の時間5.6時間目が終わっても食べれません。泣いてました。先生は残さず食べないといけないという方針でした。何故かというと戦争に行った兵隊さんは食べたくても食べ物が無く頑張ってた。そんな好き嫌いな贅沢はいけません...。という指導でした。欲しがりません、勝つまではみたいなのがまだありました。 今は変わりましたね。でも若い人は根性がないというか・・・私もオールドタイプです。
    11 5
  109. 109
    人により感じ方が違うのだろうが、食べられるものはいくつかあったが美味しいと思うものは一つもなかった。なにより食パンと牛乳が不味かった。デザートもあまり救いが無かった。カラメルまでゼラチン化したプリンも不味いし気持ち悪かった。冷凍みかんと冷凍リンゴはマシだったが。
    2 1
  110. 110
    幼稚園のとき、友達がブドウパンの干し葡萄が嫌で ずっと、泣きながら食べさせられてた。 お迎えの時間でお母さんがそこまで来たんだけど 先生たちが「もう少しで、食べられそうですから、いまお母さん見ちゃうとまたやめちゃうから」と 足止めされていたと 様子を見てたうちの母親が言っていた。 当時は親たちもみんな、それを躾?として、受け入れてたというか、「先生、お願いします」って感じだった。 その友達は小学校に上がってからも干し葡萄は食べられず、ぶどうパンの日はいつも1人残されてたし、なんなら何十年たった今もレーズンは大嫌いで食べないらしい。 ついこないだ、たまたまうちの小学5年生にこの話をしたら 「完全に虐待だね」って返されました。
    8 2
  111. 111
    昔、嫌だった授業の記憶は、理科の時間、顕微鏡で血液を見るからと言って、生徒同士で指に針を指して血を出したこと。    医療関係者でもない教師と、子供同士で、今でも思い出すと腹が立つ。
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  112. 112
    学校生活で給食が一番嫌いでした。好き嫌いもあったけれど本当に少食で食べられなかったです。 無理やり食べさせられて吐いてしまっても、その吐いたものを食べるように言われた事もあるし帰りのホームルームで給食残した子たちは前に立たされて「今日、私達は給食を残しました。ごめんなさい」と皆の前で謝らされた事もありました。 デザートは一番最後で他の物を完食しないと食べられないと言う謎ルールもありましたし、本当に今ではあり得ない時代でした。
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  113. 113
    当時の先生達はそういう時代だったと逃げるんだろうな。けど時代によらずにそんなことは犯罪だと思う。今からでも遡って関わったすべての教員に責任を取らせたい。
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  114. 114
    こういうのを見るたびに昔の残されてた子も今の子も真面目だなって思う うちの学校の子たちは食べれる子に食べてもらう交渉してバレないように食器入れ替えたりしてた 自分も好き嫌いが多くてどうやって食べずに済むか考えて、周りの子達が食べれないのが出たときに食べるからダメなのを食べてもらったり、口に入れた状態でトイレ行って吐き出すか、膝にビニール袋広げてそこに入れて持って帰ってた 記憶の限りではそうやって知恵絞ってそれぞれ何とかしてたから給食食べれずに長時間残されてる子はいなかったな
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  115. 115
    よく分からないです 好きな物とか嫌いな物は有りましたけど、ちょっと我慢して食べれば済む話です そんな事より、はやくグラウンドを確保しないといけないし 食べれない子はネグレクトで友達もいなさそう 困難にぶつかったら自身て乗り越える知恵が必要なので今頃引きこもってそうです
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  116. 116
    俺も昼休み全部潰されて次の授業までそのままさせられたことがあったわ。 クラスメイトとかクスクス笑っていて屈辱だったわ。 今思えばあの頃、自分は肉が食べられなかったんだよね。生き物の姿を想像しちゃって。吐きそうになりながら無理矢理食べさせられて、給食が嫌で嫌で仕方なかった。
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  117. 117
    ラジオ聴いてたけどそんな深刻な話でもない昔話として、ってだけで。 小学校のころ、隣の席の女の子がニンジンとピーマン嫌いで、給食に出るとこっそりこっちの皿に移して自分が食べてたんだけど、あとからありがとうって言われるのが嬉しくてさ、好きなコだったから。懐かしい思い出です。あ、ぼくもニンジンとピーマン大嫌いでしたねエエ、毎回涙目で飲み込んでたよ。
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  118. 118
    自分は固い肉が嫌いで、その原因となったのが子供の頃給食にでたカレーのスジ肉でした。食感が気持ち悪くてどうしても食べれず、口に入れただけで「オェッ」となるため放課後まで1人給食のおぼんと向き合う羽目に。最後は先生のゲンコツで解放してもらいました。結局トラウマは大人になっても引きずる事になり、いまだにちょっと固めの肉の塊りを口に入れるとオェッとなりますね。
    10 1
  119. 119
    放課後まで残って食べさせるとかは絶対にダメだけど給食も食育の一環だからアレルギーでない限りは少しずつでも食べられるように努力はした方がいいよ。嫌いなら食べなくていいというのは問題で解らない所はやらなくていいというのと同じだと思う。
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  120. 120
    うちの地域の問題なのか、子供の給食はすごく貧しい。 昔のように家のご飯が貧しく給食のほうがいい状態なら、そのやり方も教育の一つかもしれないけど、明らかに不味そうで「えっ?」と思うような給食で「ありがたみ」を含めた変な食育されるのもどうなのかと思う。 まぁ、、今の時代に月に5000円にも満たない給食費だから、あの給食でも仕方ないのかもしれないが。
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  121. 121
    今だとしても首になんかならない。 そもそも日本はなかなか首になんかできない。 ましてや教員なんて大問題起こしたってそうそうならない。 一般企業も公務員ももっと簡単に首切れればいいとおもうけどね。
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  122. 122
    学校の給食を食べるまで残された事があります。 社会人になって上司と雑談したときに、私が「学校の給食で食べるまで残された子とかいましたね~」と他人事のように言いました。 「あれ、恥ずかしいよな。パクっと食べればいいのに。あんな晒される方が余程恥ずかしい」 視点や感覚が違うとこんなに違うものだと思いました。
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  123. 123
    人間って周りに食べれる物がある状態にもかかわらず、自分の意志で餓死を選ぶことができる唯一の動物って聞いたことがある。それくらい美味しいと思えないものを食べさせられるのは苦痛だし、拷問に近い行為だと個人的には思う。こういうことを書くと食べ物を粗末にするなとかいう意見が出るけど、そもそも不味い調理しかできない料理を作る側が、食べ物を粗末にしているって強く言いたい。きっとグリンピースだって、美味しく調理してたら、アレルギーじゃない限り、その女の子だって食べたはずだと思う。
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  124. 124
    私、早生まれで食が細かっただけなんだけど、残されてたわ。嫌いなもんないのに。 給食終わって掃除が始まっても許して貰えず埃まみれになりながら食べてた。 先生私の前で仁王立ちよ。先生は私にかかりつけだから、他の子はフリー。下にポロポロ落としてたね。ほんで、誰が落とした!って怒って、私に責任擦り付ける子がいて、 「いやいや、お前私の前で仁王立ちしてたやん!」なのに私が怒られるっていう、……ほんま酷い話やで
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  125. 125
    トマトが食べれなくて帰りの会が終わるまで授業そっちのけでトマトと睨めっこしてるやつね。 俺はそんな経験もあるから、この世の中からトマトを撲滅する為には努力を惜しまない! 宝くじで7億当たったらトマトをこの世から消す為に全額使うって決めてる。
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  126. 126
    こんな教師、普通におったで。 マヨネーズが嫌いな自分は人に渡して、 人が使用した袋を交換していた。 昆布巻きが嫌いな子は、6時間目までずっと食わされていたなー。 ※ケンコバさんより年齢1個上の、ほぼ同世代の昔の話です。
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  127. 127
    子供のお腹の容量もありますよね。 好き嫌いもそうですが、とにかくパンの量が多くて食べれない! それでも大人になれば変わるじゃないですか。 好き嫌いも減っていきます。 食べる速度が遅いとか、残されていた子はいじめられたりしていました。 その辺は無理強いは良くないと思っています。
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  128. 128
    わたしも食べきるまで残されて、掃除の時間も一人で食べたり泣いても許してもらえず、口に詰め込んでトイレで吐いてました。結構図太いタイプだったのでそれでも学校は好きでしたが、繊細な子だったらトラウマになり下手したら不登校になっていたかも(30年前は不登校自体ほとんどいなかった、いろいろすごい時代だ)。
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  129. 129
    小学校5、6年の担任が給食を残させない先生でした。 私の頃は、6人の班があって、給食の時は机を向かい合わせて食べていました。 班の全員が食べ終わらないと、片付けることができないルールでした。 私は、好き嫌いがあったので、班の爪弾き者で、班を決めるとき、いつも採ってくれる班がなく、最後はじゃんけんで負けた班に入れられました。 子供ごごろに、自分は嫌われ者なんだと思い、それまで活発で明るい性格でどちらかと言えばガキ大将的な感じでしたが、消極的なおとなしい性格になって虐められるようになりました。 今なら不登校とかになるのでしょうが、私の頃は、親が厳しくて、学校に行かないとかありえませんでしたし、また、先生の言うことは絶対的な風潮もあり逆らうこともできませんでした。 あれから、50年近く経ちますが、あのときのことがなかったら、人生が違っていただろうなと今でも考えることがあります。
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  130. 130
    自分も「食わされる」給食時間でしたが、良かれ悪かれ苦手なのも一先ず食える様になったのは事実だが・・・ 後 おかずが残った場合(シチューやご飯)は「早いもの勝ち」だったので、 悲しいかな「早食い」も身に付き、スピードを求めて嚙まずに食う習性もがっつり出来てしまい今に至る(笑
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  131. 131
    30代後半だけど、自分の小学校でもあったな。 自分はほぼ好き嫌い無いから大丈夫だけど、幼馴染がいつも残されてて、掃除してる中、泣きながら机に突っ伏してた。 居酒屋で集まった時とかに、苦手なモノが出てきたら、「あれは今なら問題になるなー」、ってよく笑い話になる。 まぁ完食するまで泣いても残らせるのは極端だけど、そもそも好き嫌いってなるべく無い方が良いと思うな。でも絶対苦手なものはあるから、そこを許容する事も必要。子育てしてて、やっぱり子供が苦手なモノは出てくる。成長と共に食べれるようになって欲しいと思うし、食べやすいように努力はしたい。 好き嫌いは学校の問題じゃなくて、家庭の問題も大いにある。 家庭でも好き嫌いの少なくなるような食育をするべきだと思う。そう思って、自分はご飯を作ってます。
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  132. 132
    ケンコバさんと同年代です。 本来楽しく食べるべき給食が台無しですよね。 私の頃も、レーズンが苦手な子がレーズンパンが出るたび泣きながら食べてました。 見ている方も辛かったんで、食べてるふりして机の中に隠したらいいんだよってアドバイスしたらその通り実行して楽しい時間が戻りましたが、その机の中の物を回収し忘れて虫が湧くという大惨事をやらかしてました。 私も同罪にされて泣いて謝った記憶です。
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  133. 133
    今年40歳になりますが、小学校の担任に変わったのがいました。 その先生、他の教師とは全く違い、「残すのは自由や!」「納豆?、こんなもん腐っとるやんけ!」こんな調子です。 ある日クラスのマジメ女子が、満腹で給食を食べきらずに残す担任に 「アフリカには餓死寸前の子供がたくさんおるのに、残すのはアカンのちゃーうん?」と、先生に言いました。 「アホ、その子らも腹いっぱいなったら残すわ!」と言い返す担任。 「わしが残さな、残したい子が残されへん!」と。 そんな先生でしたが、他の先生のような体罰系は絶対なく、 キレイごとではない世間の正味の話をしてくれたり、自分が大人になってから凄さが分かる人でした。笑
    3 1
  134. 134
    給食は一例で昭和50年ころまでは本当に先生天下だった。先生の言うことは絶対で封建的。先生が調子に乗って有頂天になってる状態。理不尽なことだらけでした。気分次第で1時間中説教とか、竹刀で子供を体罰したり。自分が嫌いな生徒には言葉でダメージを与えようとするんですね。おまえは今年の通信簿下がるからなって自分は言われました。
    5 1
  135. 135
    食べ物に関する教育をしてなんで色々なものを食べないといけないのかとか、給食に出て食べるまでに関わった人たちの思いとか食べ物のありがたみを授業で教えてあげればいいと思う。 アレルギーがある子は仕方ないけど…
    12 35
  136. 136
    戦時中の食べ物無い時代を経験した先生や、その2世先生だと食べ物を大切にという想いが強かったんだと思う。 私はおかわり争奪戦の常連でしたから、給食に苦労した事は無いですけど、生理的に無理な物を食べるのは相当苦痛でしょうね。 うちの子も嫌いな物が多いけど、基本的に一口は食べさせて、美味しいと思えなかった時は無理に食べさせません。 味覚は変わるので、徐々に美味しさに気付いて、食べられるようになれば良いと思っています。 長男は以前食べなかった物が食べられるようになってますので、一気にでは無く少しずつ食育していく事が大切です。
    6 1
  137. 137
    小2の時の担任がすごく厳しくて、放課後になっても(4時間授業の日)トマトを食べられず居残りしてた私とある男の子に先生が「食べなきゃ帰れないよ!吐いたらそれも食べさせからね!」って。 その男の子すごい偏食で野菜一口でも食べたら本当に吐いちゃう子だったから、これはヤバイ…目の前で吐かれたら私もう絶対食べられない、と思ってこいつが吐く前に!と慌ててトマト食べたら、その子も取り残されて焦ったのかトマト食べて案の定吐いた 私は脇目もふらず逃げ帰ってきたからその後どうなったのか知らないけれど、小2相手に 「吐いたらそれも食べさせる」は破壊力ありすぎていまだに鮮明に覚えてる
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  138. 138
    戦時教育の影響です。苦しい思いをされた先人たちが「よかれ」と思ってしていた教育です。それをそのまま実践したのが今の祖父母世代。その人達に今日行くされたのが今の親世代。世は不景気なれど食品ロスだらけ。もう完食など死語である。 給食費は親が払っている。残して文句言われる筋合いはないのだ、今の先生は、それくらい分かっている。個に応じて量の調整はしてくれている。
    2 1
  139. 139
    現在29歳ですが、給食後の昼休みまで食べさせられた経験が何度もあります。 なので昼休みが10分程度短くなり、どうしても食べられない場合は自分で給食棟(校舎の横に併設)まで運んで破棄して貰っていました。 しかし、栄養バランスなどを考えると食べた方が良いのは間違いなく、先生も心配した上での行動だと感じていたので仕方ないと思っていました。 それ以外だと、廊下に立たされたり口にガムテープを貼られた事もあります。小学4年の時点で関数や軌跡の勉強を行っていたので授業が退屈で仕方なく、寝ている or 後ろの席の人と話していたからです。 先生方も私が特別な事は周知していたので、特に怒られる事はありませんでしたが、その能力を授業中に寝たりして無駄にするのではなく、授業の理解が遅い子に貸してあげるべきだという事で反省を促したようです。 相手を思った上での厳しさや罰は大事だと思います。
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    海老がダメだったんです。 アレルギーで・・・。 シチューとかに入ってるでしょ? 食えないものは食えないのに おなじ目にあいましたねw あの手この手で食べないように 切り抜けたけどねw 当時アレルギーがどうとか あまり言われてなかったし 親でさえもそんな気にしてなかった。 そんなおおらかな時代w
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    私自身は好き嫌いなくなんでも食べれる側でした。やはり毎日掃除の時間になっても机ごと移動させられ、最後まで食べている子いました。どうしても無理なものはお道具箱にこっそり入れたり・・・あれは無意味な指導です!かわいそうです。 食べられる子って相当な努力をしているわけでは無く、少し嫌いでも何とか食べられるんです(努力じゃない) でも、食べられない子は努力だけではどうにもならない拒絶ってあると思います。息子は好き嫌いが激しく(発達障害・味覚過敏なんです)、本当に食べれませんでした。 ただ単に努力不足とかではなく本当に無理なんだろうな。と思いました。 だから、食べれない食材は(生キャベツ)、食べれる料理(スープやお好み焼き)で何とか食べさせ、本当に無理なもの(ブロッコリー等)は無理強いしませんでした。そんな息子は今高校生。だいぶ食べれる食材も増えました。行き過ぎれば虐待だし、トラウマになるだけ。
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    当時、ごはん給食の時は担任の先生が余ったごはんとゆで卵が出た日に余った食塩でおにぎりを作ってくれてましたね。 今じゃ衛生的だ何だと絶対できないんだろうなあ。
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    今思えば「謎ルール」でしたね。 当時はソレが当たり前でお助けもダメでしたからね。 好き嫌いがある子は地獄だったと思います。 いまだに出されたものは完食する癖が抜けませんし好き嫌いもありません。 給食の選考委員で試食に行く機会がありますが今の給食は良いですね。 工夫されているし美味しいし羨ましく思います。(個人的にですよ)
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    まあ、昔話、笑い話として扱えばいいんですよね。 今じゃ考えられない、っていうのも人間の歴史の一部ですよ、たぶん。 自分もほぼ同世代(ちょっと上)だけど、小学校は昭和50年代、ひもじい少年時代を過ごされた先生もいらっしゃったはずだと思います。 親もそうだったし、家でもそういうふうに躾けられました。 食べ物は製品ではなく、誰かが手をかけて食べる人のところまでもたらされるもの。 一般論から言えば、ですが、出されたものは残さず食べる、というのが是だったのは事実ですよね。
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    好き嫌いを幼い時から解消した方がいいのは間違い無いけど、周りの人たちが掃除とか休憩とかしてる間に居残りで食べさせる見せしめみたいなのは今のご時世じゃ許されないだろうな
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    残念ながらならないよ。 今もいるんだよ。しかも、若いのに昭和の発想の奴が。 でも、東京なんか、小学校の採用試験なんて、倍率低すぎて ほとんどが合格。 質が低すぎて、教師用の赤刷りが無ければ授業出来ない奴ばっか。 だから、東京の親たちは学校で学力付くとは思ってないから、塾選びに奔走している。 もちろん、彼らを育てている教員養成課程の連中の指導力もかなり低いから仕方無いけどね。
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    嫌いなものを無理やり食べさせても更に嫌いになるだけなのにね。 同世代人だけど先生によっては、お目こぼしもあったなぁ。 低学年時の担任は納豆嫌いを公言していたから、嫌いな食べ物は無理してまで食べる必要はないっていう先生だった。他の点ではメチャクチャ厳しくて何度怒られたか拳骨をもらったか分からない(自分たちの為にやってくれてるのは明らか)くらいだけど、ホントいい先生だったなぁ。
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    子供の頃は食が細くて、一人前が食べられなかった。 それでもずっと残されて食べさせられるんですよね。本当にきつかった。
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    別でコメントしていましたが、自己主張したいのか論点がずれた返信コメントがあったので削除しました。 価値観の違いやこれまでの環境の違いといえばそれまでなんでしょう。ただ、自由とわがままを履き違えてはいけないなと思いました。
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    給食のおかげで苦手なものも食べられるようになりましたが、アレルギー云々言われると強要できないですものね…。ただ、それ言えば免罪符になると子どもの時から変な知恵つくこともあるので、痛し痒しですね。
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